Dies irae 〜Acta est Fabula〜 オリジナルショートストーリー

それは幻。
永劫に回る既知が消え、新世界の色が流れ出す刹那に生じた泡沫の出来事。
今、まさに万象が塗り替えられんとする“座”の中心で、玲愛は有り得ない夢を見る。

「卿らの勝ちだ」

柔らかな笑みを湛え、己を見下ろしてくる黄金の瞳。つい先ほどまで自分は彼の腕の中にいたはずなのに、なぜこの人がここにいるのか分からない。

「不思議かね? だが案ずるに及ばん。この場を設けられたのは彼のお陰だ。今の私はその恩恵に支えられているだけの陽炎にすぎんよ。
もはやこの先、卿と会うことは二度とあるまい」

この一瞬、この一点、総ては絵画のように時を止める。
それが黄金の成した理でないことだけは、玲愛にもまた分かっていた。
なぜなら彼は修羅道で、蛇は回帰だ。特異点を生じさせ、“座”まで達した理のうち、上記二つはどれもこの 刹那(いま)を生み出せない。

「残滓……彼の渇望の名残だな。ゆえに了解を得たわけでもないが、構うまい。
イザークの継嗣、すなわち私の末裔である卿と語らう最後の機会だ。よもや家族の別れに異を唱えるほど、彼は無粋でも狭量でもないだろう。
愛い子だ、テレジア。その勇気に敬意を表し、礼を言おう。私は満たされたよ、負けを認める。
不満がないわけでもないがね、しかしこの身は救われた」

淡々と、それでいて朗々と、謳うように語る黄金に手を引かれ、玲愛は異空の舞踏場で放心する。
ここは城だが、地獄と呼ばれたグラズヘイムの中ではない。耳に流れてくる管弦楽も、死者の総軍が奏でる怒りの日ではなくなっていた。

「私の辿り着いた道の果て……少年の夢想が行き着く結末としては、過分に上等なものだと思わんかね?」

今より再構築され、新たに流れ出す女神の世界……彼女が総てを抱きしめたその刹那に、ここは時を止めた領域なのだ。ゆえに皆がここに在る。

「遊佐君、綾瀬さん……」

見えないけれど、彼らはいる。玲愛にはそれが感じられる。

「私の爪牙、私の鬣……」

総て、総て、総てはこの一点に。
彼が愛した美麗の刹那に存在するのだ。

「我らは我らの現実に還るのだろう。卿は卿の現実に生きよ、テレジア。
それを言いたくてな。おそらく彼も同じ気持ちなのだろうよ」
「カール・クラフトは……?」
「さて」

問いに、黄金は苦笑しつつ首を振る。

「居るのだろうが、目に入らぬよ。あれと私はもはや同位に存在できん。既知が消えればラインハルト・ハイドリヒは獣でなくなる」

同格、同種、逆しまの合わせ鏡であるがゆえ、蛇の終焉は黄金から幻想という光を奪い去る。これより現実となる彼の目に、件の影絵が映らないのは道理だろう。
だから当然、玲愛にもそれを見ることは出来なかった。
すぐ近くにいるかもしれない。触れ合うほどの近距離に、カール・クラフトという虚像を投影していたモノがいるかもしれない。
だけど見えず、聞こえず、旧世界の万象はすでに過去のものとなっていて……

「聞かせてください、ハイドリヒ卿」

玲愛は、ここに至った物語を知りたいと思った。
自分が望み、彼が願い、彼女が包んだ勝利とは、いったいどのように成されたのか。

「忘れてしまうかもしれない。意味がないことかもしれない。だけど刻み付けておきたいんです。私たちの選択を……
あなたの敗北を、教えてください」
「ああ、構わんよ」

自らの負けを語れと言う懇願に、ラインハルトは穏やかな目で頷いた。破壊と超越の戦争を、黄金と水銀の友情を、獣と蛇の激突を玲愛は知らない。
大好きな彼と生きるため、生きてずっと一緒にいるため、喰らい合う二柱の交情に関わってはいけなかったから。
そうしなければ、彼は戻れなくなってしまうから。
自分の勝利は、彼がいない世界じゃない。
そのために二人で選んだ、ともすれば他力本願とも言える道。
賭けに自分達が勝ったなら、それを知るのが権利であろうと玲愛は思う。

「あれは何とも馬鹿馬鹿しく、そして我が生涯最高の歌劇であったよ」

そして無論ラインハルトも、結末を語るのが敗者の義務だと弁えていた。

「カールは私が知る何より強く、同時に滑稽な男でな……」

どこか愉快がるように彼は呟き……

「私も止めるに止められなかったよ、マルグリット」

やはり可笑しみを滲ませて、蛇は友との戦いを回想していた。

「正直な話、かなり早い段階から嫌な予感はあったのだ。君が彼に成り代わり、矢面に立ったあの時からね」
「わたしがレンを眠らせて、あの三人と戦った時?」
「そう。どうも主演が、舞台から出て行く前兆めいていてね。
それは良くない。彼には是非我が友と、覇道の激突を実現してもらわねばならないだろう。だからつい、魔が差してね。介入してしまったよ、主義ではないのに」
「センパイが、神様助けてと言ったから?」
「君が何でもするなどと言うものだから」

思わず、本当に衝動で、傍観者である身から逸脱した。振り返ればあれこそが、続く総ての発端になったのだろうと蛇は言う。

「一度踏み越えてしまえば、雪崩式でね。以降は悪手の連続だったよ。……ああ、彼は何といったかな」
「シロウ?」
「彼を動かしたのが致命的だったね。私は己が代替とその自滅因子が食い合う様に魅せられた。実に象徴的な出来事だろう。続く展開をこれ以上ないほど暗示している。後はもはや必然の流れだ」

劇終の瞬間 (アクタ・エスト・ファーブラ)へ……転がり落ちていく既知世界の自壊という結末は変えられない。

「君の言った通りだ、マルグリット。私の負けで、勝利したのは君ら。潔く膝を折るしかあるまい」
「そのわりに、全然悔しそうじゃないのが少し頭にくるんだけどね」
「納得のいく敗北であれば笑うさ。至極当たり前のことだろう?」

おどけたような言い草に、マリィは呆れつつ溜息をつく。この男の性質の悪さに対する諸々は、もうどうしようもないので諦めた。ついさっきまで泣いていたくせに可愛くないなと思うけど、彼が負けを認めるのならそれでいい。これが最後になるのだから、出来れば双方笑顔で別れたい。

「レンに感謝してちょうだいね」
「ああ。しかし彼は、本当に徹底しているね。今この時でさえ姿を見せぬ。意地でも“座”には関わらぬという意思表示かな」
「あなたを見たら、ぶっ飛ばしたくなっちゃうからでしょ」
「さもあろうし、君を信じているからだろうね」

女神の采配を、新世界の色を、誰よりも信じているからこそ彼はここに現れない。ただ己が渇望の残滓のみを生存の証明として漂わせ、主演の座はあくまで彼女に譲るつもりでいるのだろう。

「私が言えた義理でもないだろうが、引き篭もるのが好きなことだよ。負け惜しみとして、これくらいの悪態は叩いてもよかろう?」
「うん、許してあげる」

そこについては、マリィも正直同意見であったから蛇の軽口を諌めない。頼りにしてくれて嬉しいけれど、その絶対に折れない方針は別の女性のためであると分かっていたため、少し腹立たしい気持ちもあったのだ。
すなわち、この結末を確信して揺るがないこと。

「あなた達が戦えば、間違いなく相討ちになる。レンはそれが分かってたんだよ」

「なぜなら、私とカールは相剋の関係だ」

ゆえに相討つ。そは必然であったと黄金は語る。

「既知世界の総軍は膨大すぎた。質で補うとは言ったがね、あれはそうした次元をまさしく超越した領域だったよ。本来なら私といえども手に負えん」
「それを斃せたのは、彼があなたに討たれたがっていたから?」
「然りだ、テレジア。あの戦いが始まった時点で、カールは自壊の衝動に負けていたのだ。自覚があろうがなかろうが、我らが対峙するとはそういう状況を指すのだよ。だから彼は斃される」
「そして、自滅ならあなた自身アポトーシスも引きずられる」

「私と彼の争いは、そういう決着しか生み出さない。笑い話だろう、マルグリット。しかもそうなった後でしか気付けないのだよ、我々は」
「あなたの渇望が、そういう形をしているから?」
「君に出逢った日の感動を、事前に予見したくなどなかったからね」

無粋なネタばらしは不要である。自分がたった一つ愛した既知を、その刹那に最大の衝撃として味わいたい。
そう言いながら女神の手を取って踊る彼は、ゆるゆるといつもの口調で話し続ける。

「前もって分かっていたのでは興が削がれるだけだろう。お陰で幾度となく同じ過ちを繰り返したが、後悔などしていないよ。
もう一度、君に感謝を、マルグリット」

結びを恭しく丁寧に、声を落として蛇は告げ。

「理解したかね、テレジアよ」

微かに自嘲を浮かべつつ、黄金は説明を終えた。

「じゃあ……」
「だったら……」

マリィは、玲愛は、それに一つの疑問を投げる。意味のない問いで、ただの仮定。だけど敗北を認めながらもなお不敵なこの二柱を、少し困らせてやりたかった。

「あなたと彼は絶対に相討ち。そうとしかならない」
「それは分かったけど、違う相手だったらどうなのですか」

もしもの話。今の自分に不満があるわけではないけれど、マリィは胸に芽生えた淡い気持ちに一つの決着をつけたくて。
玲愛は自分の我が侭で取り零してしまった友人達に、別の可能性があったかどうかを知りたくて。
黒円卓の総同士討ち……その流れが起きなかった場合は、つまり……

「レンなら」
「藤井君なら」

どうだったのか?

「あなたに勝てた、カリオストロ?」
「あなたは勝てましたか、ハイドリヒ卿?」

期せずして同じ問いを受けた黄金と水銀は、一瞬だけ押し黙ると、まったく同時に答えを返した。

「「私は負けんよ」」

「ふふ、ふふふふふ……」

マリィは可笑しくて笑ってしまう。

「自信満々に言うんですね」

玲愛は呆れたように肩をすくめる。

「やっぱりあなた、一度けちょんけちょんにされた方がいいと思うな」
「それは私に、人として生をやり直せという意味かね? 勘弁してくれたまえよ、そんなことをされたらまた君に逢いたくなってしまう」

「私のお婿さんは手強いですよ。血筋なんか全然気にしてないんだから」
「イザークに交際を認められたせいで強気かな? 笑止、私はあれほど甘くないぞ」

当の本人が聞いていたら、何を勝手にと言うだろう。しかしマリィにとってはつれない彼への当てこすりで、玲愛にとってはただの惚気だ。二柱はどこまでも彼ららしく、絶対の自負をもって少女達に応えている。

「あなたが何を言ったって、わたしはレンが勝ったと思うよ」
「藤井君が戦ってたら、今頃あなたはお星様になってたはずです」

「それはそれは」
「是非試してみたいな」

笑う彼らに邪気はない。
しょせん意味のない仮定だし、意味のあるものにしてはいけないことだ。この結末こそを現実として受け止めなければ、それこそ彼への裏切りになる。玲愛もマリィもそこはしっかりと弁えながら、だけど自分が口にした予想は間違いないと信じていた。
当然、ラインハルトもメルクリウスも、この今を覆そうとは思わないしその力もない。彼らは負けて、“座”を追われ、それぞれ在るべき場所へ還るのだから。

「マルグリット」
「テレジア」

ゆえにこれを、最後の問答と定めて二柱は訊いた。少女達が強く想う彼のことを。

「あの頑固者、君はどう扱うつもりだね?」
「卿は知らぬだろうが、あれには現実が二つある」

藤井蓮という名の少年は、確かに一つの現実だがその立場はただの 役割パルス……本来存在しないはずの稀人でしかない。彼の根幹たる正当な現実は別にあるのだ。

「君はあれを現実に帰すと言い、それを慈しみ抱きしめることを祈った。ならば私の代替である藤井蓮ツァラトゥストラには戻せまい」
「生きる時代が違うのだ。女神が彼の願いに真摯であるほど、カールの手が入った立場では歪みが生じる」
「ゾーネンキントとは共に歩けん」
「おそらく、逢えぬぞ」

その、ともすれば絶望を告げているとしか思えぬ言葉。二柱に少女らを嬲る意図はないものの、事実はそのようになっている。

「君が彼を愛しているなら、そうした采配も有りではないかと私は思う。君の手に入らぬのなら、むざむざ別の女に渡すことなどあるまいよ」
「女神の嫉妬、独占欲……古今それは、英雄たるものを束縛する。可能性として十二分に有り得るのだが、どう思うねテレジアよ」

「…………」
「…………」

「さあ」
「答えを、私に聞かせてほしい」

問いに、マリィと、そして玲愛は。

「「信じているから」」

短く、きっぱりと返答した。

「現実が一つしかなくて、ずっとそこから出られないのはあなたの世界でしょう、カリオストロ」
「カール・クラフトの“座”は終わった。だったら可能性は無限に広がる」
「レンの本当の現実は無視できない。ええ、確かにその通りだし、そこはわたしも分かっている」
「藤井君の現実が、いつのものかは知らないけど、それが終わっても先に進める。もう巻き戻ったりしない。
私も、彼も、ずっとずっと……」
「そうしていけば、いつか逢えるんじゃないのかな。レンも、カスミも、シロウも、センパイも、そして出来ればこのわたしも……みんな一緒になれる時が」
「きっと来るって、信じてる」
「わたしにそれが出来るんだって、信じてる」

「「だから――」」

同時に、玲愛とマリィは言っていた。

「「怖くないよ」」

強く、揺ぎない声で紡がれた意志。その心を受け止めて、二柱は深く頷いた。
感服したよと、降参の意を示すように。

「なるほど」
「ならばそう信じるがいい」

女神の“座”はまだ産声を上げてすらいないほど幼くて、精妙な因果の操作は困難だろう。先へ進み続ける転生のサイクルで、同時間軸上に彼を並ばせられる保証はない。
十年か、百年か、何代巡れば成就するのか分からないゆえ、蛇は思った。口には出さず、心の内で、この眩い女神に何かしてあげられることはないのだろうかと考える。
しかし代替品の因果には手を出せない。あれに己が関わることは、彼らの勝利を侮辱する行いだ。
であれば、そもそも自分の十八番である他力本願でいくしかない。無粋な行いかもしれないが、あまりに女神が可愛らしいので老婆心が疼くのだ。
消え去る間際、気づかれぬよう、要らぬお節介をさせてほしい。

「なあ、おまえはどう思うハイドリヒ」

姿は見えず、声も聞こえず、だが間違いなく傍にいるだろう友へと呼びかけた。
私はそうしたいと思うのだが、もしも同意見ならそちらに任せてもよいだろうかと。

「ああ、異論はないよカール」

呟くその独白に、何事かと目を丸くする玲愛の反応を見て彼も決めた。
それを果たす機会があり、自分が覚えていたなら手を貸そうと。

「何を……」
「言ってるの?」

「何でもないよ」
「瑣末なことだ」

訝る少女らに目を落とし、彼らは心の中で膝を折る。徐々に薄れていく永遠の中、消える二柱が刹那の終わりを告げていた。




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