[Last Summer]
 

 だから俺は、最初ハナから嫌だと言ってたんだ。
 わざわざ夏休みに学校行くのも、香純の試合を見学するのも

「けどまあ、なんつーか期待裏切らないよな、おまえって」

 横で司狼が含み笑いを漏らしている。俺としても、こうなったからには妙なジンクスを打ち消したい気持ちが少なからずあっただけに、正直色々と納得いかない。
 だいたい香純、そもそもの疑問なんだが……

「なんでおまえは、俺が応援行ったときに限って負けるんだよ。わざとだろ」
「違うもんっ」

 とか言うけどなぁ、試合中に余所見はないだろ、余所見は。

「あれは、その、とあるボクサーの逸話を聞いて、ちょっと試してみようかと……」
「すんな」

 馬鹿か? 馬鹿なのかこの女? ……いや、馬鹿だったな果てしなく。なら仕方ない……のか? 違うだろ。

「おまえはもっと、自分の立場と責任ってやつをだな……」

 地区の練習試合で、全国区選手が物の見事に一本負け。相手は狂喜乱舞してたけど、こっちは部員、観客、残らず全員白けまくった。あれじゃ示しってもんがつかないだろう。

「いいじゃん、別に。本番の大会でぶちのめせばいいんだからよ」
「あの様でか?」
「ああ、あの様で」
「あの様じゃなぁ」
「もう、うるさいよっ」

 しつこい、と言わんばかりに、香純は不貞腐れてしまう。

「次は勝つし、反省してるし、必ず殺すと書いて必殺するから、あんま鬼コーチみたいなこと言うないじわる」
「……まあ、そりゃおまえの恥はおまえのもんだが」

 しかし何だかんだでこの一週間、縁起悪くなるから行かないと言ってる俺を無理矢理誘い続けておいて。しかも終いにゃ強制連行までしておいて。
 あげく不吉なジンクスをまた強固にしてくれたもんだから、この際はっきり言っておきたいだけなのだ。

「次の試合がどうだろうと、俺はもうおまえの応援には行かないからな」
「駄目ぇ――――っ!」

 と、そんな耳元で叫ばれても、嫌なもんは嫌だ。

「駄目駄目駄目駄目、絶ぇっっっ対、駄目ぇっ! 今日みたいなので最後とか、あたし絶対嫌だからね!」
「けど俺も、これ以上疫病神扱いされるのは嫌なんだよ」
「誰が言ってんのよ、そんなこと」
「誰って、おまえ」

 そんなの、言うまでもないだろう。

「え、オレ?」
「おまえか司狼ォォ!」

 そう、こいつ。香純に襟首つかまれて揺すられても、へらへら笑ってる遊佐司狼。

「あたしが、いつ、どこでこの練炭を疫病神だなんて言ったのよ! そりゃちょっと陰気だし、不吉なあだ名持ってるけど!」
「おおきなお世話だ」
「そうだぞ、バカスミ」
「バカスミって言うなぁぁっ!」

 禁句でボルテージが上がりまくるバカスミだったが、逆に俺はどんどん醒めていくというか呆れていく。
 だいたい、司狼そいつに何言ったところで暖簾に腕押しなんだから、おまえもいい加減無駄なことはやめとけって。

「とにかく、次もその次も、絶対来てよね。あたし勝つから」
「あーそうか、じゃーこれやるよ」

 香純の剣幕を意にも介さず、司狼はポケットからプリクラシール――なぜか氷室先輩のどアップだった――を取りだすと、魔除けだから、なんて言いつつ貼っていく。

「ぺたぺたぺた、と」
「あぁ、何よいきなりやめてやめて痛いやめて、ちょっと取ってよ、前見えないからぁー」

 そしてそのままふらふらと、顔面中にプリクラ貼られた奇妙な生物は明後日の方へと転がっていった。
 ……まあ、あいつは放っておけばいいだろう。視界の隅で転がりまわっているプリクラ怪人を放置したまま、俺と司狼はバイクを停めてある駐車場までやってきた。いったいどういうツテで入手したのか知らないが、ヴァルハラだかヴァルキュアだか、とにかくアホみたいなモンスターマシンがそこに鎮座ましましている。

「で、おまえは結局、次から応援には行かねーの?」

 混ぜ返すそんな問いに、俺は若干辟易しながら、

「行ってあいつが勝てなくなるなら、行かないほうがいいだろう。剣道部の連中にも悪いしな」
「じゃあ、なんであいつが勝てなくなるのか、分かってるのか?」
「さあ?」

 それは本気半分にすっとぼけ半分、別にどうだっていいんだが、単に香純は集中力が足りないというだけだろう。

「分かってるのは確率っていうか、統計の話だな。要は天気予報なんかと一緒で、雨が降りそうなら家から出ない。あいつが負けそうなら俺は行かない」
「はーん、でもそれ、事態の根本的解決にゃあほど遠い選択だよなあ。傘持って出るっていう発想はないのかよ」
「俺はそうでも、晴れ女は傘なんか持ってないだろ」
「ああ、なるほどね」

 そりゃそうだ、と得心したように手を叩いて、司狼はキーを指で回しながらバイクの方へと歩いていく。

「でもよぉ、だったら相合傘をやればいいじゃん、てオレは思うわけなのよ。だから蓮、あとはおまえらでよろしくやってろ」
「は? ――て、待てよ。おまえもしかして、このまま一人で帰る気か?」
「そうだけど、それがなんだよ? おまえはバカスミのお守りがあるだろうが」
「おい、あのなぁ……」

 またこいつは、そういう面倒なことを軽く言いだす。

「俺も乗せてけよ。行きはそうやって来ただろう」
「じゃあ、あいつは?」
「知らん。ほっときゃ一人で転がりながら帰るだろ」

 今は夏だし。暑いし。歩くの嫌だし。俺は早く家に帰りたいんだ。

「うわ、ひでぇなおまえ。少しは負けたあいつを慰めてやろうとか、思わないわけ?」
「だったらおまえが慰めろよ。バイクは俺が乗って帰るし」
「いや、おまえ免許持ってないだろ」
「おまえもないだろ」
「オレはいいんだよ」

 なんだそりゃ死ね――と我ながら不毛な言い合いをしていたら、

「あー、こほん。ちょっと待ちなさいよ、そこの不良二人組」

 いつの間にか、すぐ背後に香純が立ってた。気持ち悪いくらいにこにこ笑って、なにやら企んでいるのが明白だった。

「そういうことなら、あたしにナイスな案があるのですよ」

 いったいどこから聞いていたのか知らないが、剥がしたシールをバイクのメーターに貼りなおしながら、香純はその案とやらを口にする。
 なぜか一瞬、プリクラの氷室先輩が邪悪に微笑んだ気がしたのは錯覚だろうか。

「あたしが真ん中に乗るってどぉうよ?」
「大却下」

 俺は香純の手を掴み、陽射しでフライパンと化しているタンクの上に押し付けてやった。

「あああぁぁぁ〜〜〜熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱いってばぁ―――っっ!」

 青空に響き渡る馬鹿の絶叫。
 あー。
 まあその。
 分かってたんだよ。
 こいつの考えることなんて、しょせんこんなもんだから。

「か、風になろうぜ、三人で!」

 しかも、まったく懲りてないし。今度は掌じゃなく二の腕を押し付けてやろうかと思ったが、すでに香純は手をもぎ放し、離れたところで空手家のようなポーズをとっている。

「……おまえアホだろ。勘弁してくれ」
「えー、なんでよ、いいじゃん。ケチケチすんなよぉ。あたしはバイクに乗ったことがないんだよぉ」
「つっても、さすがに3ケツはねえだろうよ」

 当たり前だ。そんなのパクってくれと言ってるようなものでしかない。俺は大きく溜息をつき、天を仰いだ。

「それならもう、おまえら二人で風になれよ。俺はタクシー捕まえて帰るから」
「そんなのつまらーんっ!」


「三人一緒じゃなきゃ負けちゃうでしょー。サンバルカンとはそういうものだー!」
「……いや、サンバルカンって」

 いくつだよ、おまえ。
 そして誰に(何に)負けるんだよ。

「つーと、オレはレッドか」
「レッドはあたし、あんたはイエロー。そして蓮はブルーな感じ!」

 ブルーな感じは、俺の気持ちだけで充分だった。
 てか密着するな。抱きつくな。おまえは体温高いんだよ昔から。

「やめろ。マジで暑っ苦しい。放せコラ」
「うるっさいわねえ。あんたがこのクソ暑いのに、長袖なんか着てるからいけないんでしょ。脱いじゃえこんなの――って、そうだ!」

 何か怪しい電波でも受信したのか、自称赤の戦士は目を輝かす。

「海行こ、海! ぱーっと遊んで、嫌なことは忘れるの!」

 それは当初の問題がまるで解決されてない提案だったが、どうせこいつは人の話をまるで聞いちゃいないんだろう。その様子を見て諦めたのか、もしくは最初からどうでもよかったのか、司狼は呆れたように肩をすくめて、断固反対派の俺をあっさりと裏切った。

「分かった分かった。それで、結局3ケツなのか?」
「そう、3ケツで!」
「なんか窒息しそうな道行きだな」
「じゃあシュノーケル買う?」
「そういう意味じゃねーよバカスミ」
「あぁ〜〜、バカスミって言ったバカスミって言った。あんたまたバカスミって言ったぁ〜〜!」

 ああ、もう。
 うざい。うるさい。やかましい。
 だがなんのかんのと文句を言いつつ、結局その後、海まで引っ張りまわされた俺は意志が弱いのかもしれない。
 この日のことはよく覚えている。

 なぜならそれは、思い返せばたぶん一つの分岐点で――

 ガキの頃から十年以上……腐れ縁だった俺たち三人の日常が、まだ並んでいた最後の日だったのだから。