本格架空戦記としての『群青』解説
早狩武志

1.if点

  現実の歴史上には存在しないある一つの出来事を仮定し、その影響を受けたその後の歴史の変遷を描いていくのが架空戦記が架空たる所以です。このif点は物語中に描かれなくとも、もっとも重要な設定であるのは間違いありません。
  『群青』の場合、このif点は「縄文末期〜弥生前期の気象変動」にあります。
  2500年以上続いた三内丸山、奥三面遺跡群などに代表される縄文文化が衰退していった原因は、主に気象条件の変動による植生の変化が大きいと考えられています(いや、諸説あるし次々変わるんで、確かな事は言えませんけど)。彼らはその後急速に稲作を取り入れ、その過程で居住地を変えるのですが、その結果ある程度成熟していた都市文化は失われ、勢力としては弱体化します。
  『群青』の世界では、この気象変動が極めて緩やかに、かつ遅くに発生したものと仮定しています。
  稲作文化は西日本からゆるやかに東日本にももたらされましたが、現実の史実とは異なりそれは文化的な破壊を伴わず、東日本の都市国家は勢力を保ち続けました。そのため、大和朝廷への貢納はおこなわれず、またより大規模であったにもかかわらずヤマトタケルの九州・関東征服は共に失敗します(実在人物ではありませんが)。近畿地方の一勢力だった大和朝廷が九州・東日本を植民地化するには、聖徳太子の登場による強力な集権制度の発足まで待たなければならなくなるのです。
  もっとも、これにより東日本都市圏の命運はわずか300年ほど伸びたにすぎないのですが、この300年の差により、文字文化の流入が間に合ってしまい大和朝廷が歴史の改変をおこなう余裕がなくなります。数千年にわたり続いた東日本文化の歴史は書物に記され途切れることなく一部で継承され続け、征服国家としての大和朝廷を否応なく庶民レベルにまで意識させつづける結果になります。
  この東日本文化は現実の歴史と同じく、明治政権の廃藩置県(植民地解放)と意識改造によって一端は抹消されるのですが、やがて戦後社会運動が激しくなった70年安保闘争の頃に、再び人々の意識の間に浮上します。そして多感な少年期に新宿騒乱・神田カルチェ・ラタン闘争などを経験した萩野憲二(主人公の父親)によって、円経済圏理論の中に取り入れられ、再び歴史の表舞台へと戻ってくるわけです。

注:上記の設定は、ゲーム中には一切登場しません。

2.円経済圏理論

  『群青』の舞台中、関東と関西が争う理由になるのが、この主人公の父親(萩野憲二)が提唱した「円経済圏理論」です。

 この理論の基本は、社会には、経済圏、軍事圏、民族圏(言語)、政治圏(司法含む)、の四つが存在し、歴史上ではそれらが一致する時期としない時期が交互に訪れる、というものです。
  この四つがほぼ一致した場合、近代史上の国家と呼ばれる存在になり(民族圏が一番微妙)。日本では明治維新以降の歴史を指します。
  このズレが生じるのは、技術発展の度合いなどにより、各圏の拡張速度が異なるためであり、また大きいほど効率的(経済・軍事)、技術が許せば多層的で単位が小さいほど効率的(政治)、大きさが人為的には変更不可(民族)と、それぞれの性質が違うからでもあります。
  具体例としては、
  原始都市国家(一致)→中世(バラバラに発展)→現代(一致)→近未来(情報化等でバラバラ)→惑星国家(一致)→さらに恒星系国家になる手前で不一致(……以下永遠に続く)
  のようになります。

 萩野憲二は、上記の理屈に基づき、日本も再び各階層を切り離すべきだ、と日本政府の諮問委員会で答申しました。
  EU・NATOの成立・拡大などは、近未来の各圏の不一致の先駆けと考え、国際競争力を維持する為に極東アジアにも同様のシステムが必要だと憲二は考えたからです。これが、政治単位を小さく分け、逆に経済単位を大きくしようとする円経済圏構想(旧来のブロック化経済とは微妙に異なる)です。
  また、この提案では、文化的に異なる東日本と西日本という歴史観が前提にあります。
  彼の提案では、日本と同様に分割した中国(六つに分割)、朝鮮半島(新羅・百済・高句麗に分割)、台湾、などで共通通貨をもちヨーロッパや北米(アメリカ)に対抗する予定でした。

 ――その提案は、日本の発展的な分割案として一度は国会で承認されます。ですが、その後関東の政治的独立は強硬に旧来型国家としての独立にすり替えられ、これに反対した憲二はあっさり暗殺されます。

 現実にはアジアの政治事情はとてもそこまで熟成しておらず、彼の提案は理想論すぎました。百年から千年単位で物事を見ている憲二は、数十年の経済格差は数世紀程度で埋められる誤差と考えていましたが、現世利益を第一に考える人々には到底認められないものだったからです。

 萩野憲二が唱えた日本六分割の方法論は以下のようなものでした。

   琉球(沖縄)は琉球王朝(南方渡来文化)
   九州&四国はクマソ(および卑弥呼系純弥生民族)
   関西圏は弥生民族(大陸渡来文化)
   関東・東日本は縄文系民族(東夷)(憲二がこれを二つに分けたのは政治的理由)
   蝦夷(北海道)はウタリ民族(北方渡来文化)

 ただし、群青の現実世界では、琉球王国、蝦夷共和国、東日本、西日本の四分割になっています。

注:上記の理論は、ゲーム中ごくわずかしか登場しません。

3.予備生徒制度

 憲二の理論を曲解して、一部政治家と公共事業業者が関東の経済力の独占を狙って身勝手な独立を宣言しますが、これは長くは持続しませんでした。独立は鎮圧されますが、その過程で様々な問題を引き起こします。
  それは主に、実力行使を伴う強硬措置を一部の占領部隊がおこなったからでした。
  不自由かつ理不尽な生活環境に追い込まれた関東で、憲二の理想論に感化された学生を中心に抵抗運動が始まります。これは学校の部活・委員会単位で急速に組織化され、最後は統一した武装蜂起へと発展します。
  そうして、学生が抵抗運動をおこなうシステムとして、予備生徒制度が発足します。

 関東政府(関東自治共和政府)を支持する学生が志願して戦闘参加するシステムが予備生徒制度です。その上部組織にあたる関東軍(正式名称は関東自治共和政府治安維持軍)は主に元自衛隊員と元予備生徒で構成されています。統合軍を指向しているので、陸海空の区分はありません。
  予備生徒は実戦参加する一種予備生徒と、その前段階の二種予備生徒、主に中学生からなる三種予備生徒があります。ヒトラー・ユーゲントなどの初期と同じく、基本的に志願制です。階級分けがあまり細かくないのは、学生運動組織の名残として完全なピラミッド型をした階級組織・指揮命令系統を否定している側面があるからです。その組織の最小単位を細胞(セル)と呼び、実質的には分隊に相当します。この中では合議制で物事が決定されます(現実には実力のあるものが命令します)
  また、一部の専門性の高い任務ではその名前が前につく場合もあります。具体的には、萩野社一種飛行予備生徒、水木若菜二種管制予備生徒、などになります。
  予備生徒の総数は関東全域では十数万人と言われていますがたぶんに流動的であり詳細は不明です。
  また、航空関係など特殊な所属を除くと、予備生徒の組織は二つに大別されます。
  一つは、学区編成部隊と呼ばれるもので、学校・学区単位で組織されており、関東全域に存在します。常備部隊ではなく、戦時に招集をかけ部隊として編制され前線に投入されます。予備兵のような存在です。基本的に予備生徒のみで構成され、職業軍人はごく一部です。大半の予備生徒はこちらに分類されます。
  もう一つは管区編成部隊と呼ばれ、前線に近い地域を幾つかの管区に分けそこを防衛している常備軍です。大半の管区では、法令上・予算措置上の制約を避け弾力的な部隊運用を行うために、作戦群と呼ばれる任意部隊を複数編成しています。
  ここに所属する予備生徒は特に志願した生徒です。出身校は不問です。また指揮官・教官として元自衛隊関係者が配属されています。
  予備生徒は卒業後、そのまま関東軍に加わった場合は自衛隊出身者と同様に階級を名乗ることになります。
(ただし、現実の管区部隊では関東軍所属の元予備生徒・自衛官と現役の予備生徒が一体となって活動しており、その二つは不可分といってもいい状況です)

 また、話は少し逸れますが百里義勇航空団などの義勇兵は、スペイン戦争のような本格的な国際義勇兵ではなく、蝦夷共和国に所属する元自衛隊員がほとんどです(百里には元第2航空団のF-15が一部参加しています)。蝦夷政権は元自衛隊員を多くを抱えており、また関東政府が消滅すると自分たちの独立も維持できなくなるだろうと、彼らを義勇兵として派遣して関東政府を支援しています。

 独立を鎮圧され、それに対抗して行動を起こした予備生徒たちは、建前としてはあくまで憲二の理論を本来の意味で達成しようとしました(実際には、旧関東の抱えていた権益を守ろうとする守旧派勢力に操られていた側面もあるのですが)。
  それは、経済的に追いつめられていたEUの資本家に、好ましいものとして映ります。彼らは、ユーロ単独ではもはや米ドルと国際基準通貨の地位を争うのは難しいと考えていました。円経済圏という第三の極がアジアに成立するのは対北米政策上都合がよいと考えたのです。三つ巴の構図になれば、EUにもまだ世界制覇の可能性を夢見ることが出来ました。
  これにより、抵抗・独立運動をおこなう生徒のもとにはこれを支援するヨーロッパ系資本が流れ込みます(グリペンの供出もその一環です)。
  一方、アメリカにとってはあくまで日本が再統一され変わらず子分になるのが望ましい未来であり、国連軍の名のもとに、米国は関西政権寄りで武力介入することになります(名目は停戦監視軍)。

 ただこの時代、予備生徒にとってもっとも不幸だったのは、米国・ヨーロッパ共、関東・関西のどちらが勝つにしても日本の国力が適度に疲弊するのはより望ましいという共通認識でした。彼らは、日本での平和より戦いを望みました。
  予備生徒たちは否応なしに、米欧の代理戦争という側面も背負って、血を流さなければならなかったのです。

 
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