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「あの子は君の目の前にあるあの大きな楠の木になったの」
幼い頃、子猫の亡骸を埋めながらそう教えてくれた隣のお姉さんは、
三毛猫のような柄をした戦車に轢かれ今はその隣に眠っている。

「アンダルシアの雨は気まぐれで時折平野に空き缶が降る」
奇妙なシュプレヒコールと共に、いつも中身の入った空き缶を投じた向かいのお兄さんは、
催涙弾の豪雨にうたれ街角で二度と動かなくなった。

明日は俺も歌うだろう。遮るもの一つ無い群青の空の彼方で。
「シュレーディンガーの猫は百年経っても決して死なない」

蓋を開けるまで、勝敗は判らない。

「俺たちは決して死なない。魂は永遠(とわ)に引き継がれるから」
叫んだ男は昨日死んだ。俺は彼の友ではないだろう。なぜなら俺は彼の魂が判らない。
引き継がれない魂を抱えて彼は死んだ。

「わたしたちの愛は永遠なの。変わらぬ愛をわたしは誓うから」
彼女が腕にぶら下がる男の背は昨日は低かった。変わらぬ愛は背を伸ばす。
永遠の愛は連れ添う相手を選ばない。

ならば俺も呟こう。力無き声をかき消されぬように。
「俺たちは絶対に絶対に絶対に負けない」

言葉の時代が終わって、戦争が始まる。

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 微妙に異なる歴史を歩んできた近未来の架空日本。

 主人公の父親、萩野憲二は政治・経済的に閉塞感漂う中、新時代の社会モデルとして、日本を政治的には分割し、経済的には逆に極東アジア全体を統合する『円経済圏構想』を提唱する。
 折からの地方分権熱と、変革に伴う経済効果を期待する勢力にも押され、議論のすえこの提案は受け入れられる。ほどなく各地域に広域行政府が発足。
  日本は順調に新時代にふさわしい社会システムに移行し得たかに見えた。


 だが、新制度発足後間もなく、関東圏行政府は突然、これは旧来と同様の国家単位だとして独立を宣言する(直前に、萩野憲二は暗殺される)。
 あくまで、政治システムの分割に過ぎないと考えていた他地域は、激しくこれに反発した。

 関東の独立は、経済利益を目的とした一部政財界の私欲に満ちたものだったからである。

 利己的な独立を許すくらいなら、旧日本を維持すべきと関西・西日本を中心に指揮された機動隊・一部自衛隊が関東に進出。独立を阻止しようと、強権的な統治を開始する。


 これに対し、自由を制約された学生が反発。予備生徒制度を発足させ、レジスタンス運動を開始する。東アジア団結を夢想する活動家の扇動、EU型大規模経済圏の成立を望む欧州の密かな軍事支援などもあり、その組織は急速に拡大した。
 主に学校単位で編成された予備生徒はやがて、武装蜂起して第一次独立闘争を開始する。内戦への備えのなかった関西系自衛隊勢力は不意をつかれ敗走。

 関東は独立状態を回復する。


 同時にアメリカ・ロシアを主とした国連軍が介入。富士川・糸魚川を中心に中立地帯が成立する。


 ……そのまま、戦況が膠着状態に陥って数年。戦闘は越境しゲリラ活動を行う一部のレンジャーと、停戦監視団の目を盗んで示威行為を行う双方戦闘機の間で交わされるのみになっていた。

 

 

 その夏、萩野社は筑波航空学校に通い授業と訓練に忙殺される毎日を送っていた。T-2による実習を終え、年下の水木俊治とペアを組んで、いよいよ念願のグリペンに乗れるようになったのだ。

  しかし、悪化する戦況にベテランパイロットは不足がちであり、二人がグリペンで満足な訓練を受けることは難しかった。その状況を危惧した筑波戦闘航空団司令・吉原大嗣は、目の負傷をきっかけにパイロットを退役して前線に赴いていた教え子、渋沢美樹を呼び寄せ、彼らの指導を依頼する。
  飛行予備生徒の一期生として、数々の激戦をくぐり抜けてきた美樹の指導は厳しかったが、社、俊治とも特に選ばれた飛行予備生徒であり、すぐにその教えを吸収していった。二人は次第に本物の戦闘機パイロットとして鍛え上げられていく。そして、予備生徒の活躍ぶりを報道する為に派遣されたきた報道カメラマン、澤村夕紀を後席にのせ、ついには初の実戦を経験する。

 一方、水木若菜は同級生であり、弟の相棒である萩野社に対して、複雑な感情を抱いていた。それは主にその父親・憲二の存在が理由だった。両親は憲二に心酔しおり、家庭を顧みない二人に反発する若菜には、逆に印象が悪かったからである。また社自身も、偉大な父親を持ったエリートのパイロット候補生として、クラスでは浮いた存在だった。

  だが、ささやかなきっかけから、若菜は社やその友人、藤川達也と大賀忠則たちに誘われ、文化祭で一緒に演劇をする事になる。仮初めの停戦であるにもかかわらず……否、実質的な戦争状態だからこそ、筑波航空学校の文化祭は華やかで盛大だった。明日の判らない日々に、誰もが想い出を求めていた。一度かぎりの夏を楽しむ蜻蛉のように。
  社や俊治、クラスメートの久我聡美、さらには俊治の同級生の日下部加奈子らと一緒におこなうのは、芝居マニアの達也が選んだチェーホフ『かもめ』だった。密かに演劇に興味があった若菜は、ヒロインの一人として舞台の練習に熱中した。
……相手役である社と、否応なしに心を通わせながら。

 数年ぶりに筑波に戻った渋沢美樹には、一つの気がかりがあった。怯えと躊躇いを乗り越え、かつての恋人であり相棒でもあった日下部諒の仏前に線香を供えに訪れた美樹は、その妹、加奈子と再会する。
  加奈子にとって諒は自慢の兄であり、美樹にとって加奈子は諒が最後まで気にかけていた妹だった。兄を自分から奪ったと、加奈子は美樹を恨んでいたが、美樹は諒に代わって加奈子を大切にしたいと願っていた。
  加奈子は整備の手伝いをしに筑波戦闘航空団に出入りしていた。パイロットの中でも、兄と同じ一種飛行予備生徒として実戦に参加する社は、もっともその立場が諒とよく似ていた。同級生・俊治をきっかけに、加奈子は次第に社に戦死した兄の面影を追い求めていく。俊治の気持ちに気づかぬままに。

  美樹にとって、社と俊治は初めて得た生徒だった。諒を失って以降、望んで危険ばかり引き受けてきた美樹にとって、教官役は想像以上に意義のある任務だった。訓練にはげむ二人に、ついかつての自分と諒を重ね合わせてしまう美樹。二人を庇ってカメラマン、澤村夕紀と反目してしまうのも、自分が一次闘争の英雄とマスコミにまつりあげられ苦労したが故だった。

 社たち有志による文化祭での演劇は大成功だった。

  だがその頃、海の向こうでは、九月第一月曜日の労働祭(LaborDay)を皮切りに、米大統領本選が本格化していた。
  ……夏が終わり、政治の季節が訪れたのだ。

 

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