Dies irae 〜Acta est Fabula〜 ロートス×ルサルカショートストーリー

勇気という言葉は好きだけど、それを振り絞るという表現は好きじゃない。
もともとあったものを上手く使えなかっただけなんだと、まるで言い訳しているようで、過去の自分に誠実じゃないような気がするのだ。
本気出せばすごい。やれば出来る。要はそういう言葉と同じもので、なんだか遠吠えしているように感じてしまう。自己暗示で実力以上を引っ張り出すとか、そんな思惑もあるのだろうけど、やはり個人的には嫌いな考え方だった。
なので、それについての反論はお好きにどうぞ。
別に議論するつもりはない。
ただ、自分を好きになれるかどうかは自分次第なのだから、大事な局面には自分理論を大事にしたい。
だって、この勝負のとき、頑張るのは自分自身で誰も助けてなんかくれないでしょ?
だから――

「どうなのっ?」

わたしはいま精一杯、胸に生じた勇気に縋って、一世一代の戦争をしている。
敵は今までの臆病なわたし。足が遅くて追いつけなくて、たった一人置いてけぼりな立場に甘んじていた過去の自分。
それはすごく手強い敵で、勝利するための難易度はヴィレル・ボカージュの戦いにだって劣らない。
でも負けたくないし、勝ちたいし。だいたいこの人、そこから生還してきた一人なんだし。

「どうせまた行っちゃうんでしょ? だったら――」

ようやく伸ばして掴んだこの手を、今は絶対に離したくない。

「あ、あんたみたいな一般人、そんな都合よく何度も生き残ったりしないんだから! それなら、せめて可哀想だし、最後にいい思いさせてあげようって言ってるのよ。か、感謝して、もらっときなさいよ!」
「…………」
「う、嬉しいって言えーっ!」

恥ずかしくって、逃げ出したくって、心臓ばくばくいわせながら彼の胸板をばんばん叩く。こんな風に触ったのは初めてだけど、予想外に逞しくて頭がどうにかなっちゃいそうだ。


「アンナ、おまえな……いきなり何を言うかと思えば……」

ロートス・ライヒハート。お偉いさんでも、お金持ちでも、英雄でもないただの一ドイツ軍人。
どうせ大した出世もしないだろうし、要領もよくないから貧乏くじとか一杯引きそう。
正直、男としては本当にしょっぱい感じの奴なんだけど、それでもわたしはどうしてか、この人が気になって気になってしょうがない。

「俺、早く隊舎に戻らないといけないんだけど」
「あんた馬鹿なの? ウホなの? 英雄様に夜のティーガーぶっ込まれるのがそんなに好きなの? あんな人殺しがやたら上手いだけの奴に尻尾なんか振っちゃってさ!」
「ミハエルは、そんな奴じゃねえよ」
「うるさいな、わたしはあいつのことが嫌いなの!」

叫んで、ここに至った経緯を回想する。我ながら暴走しているのは分かっているけど、もう後がないって分かっていたから自然に手が伸びたのだ。
そのとき生じた小さな勇気を、忘れず強く感じるために。
いま自分に出来る精一杯を、この刹那に現実のものとしたいから。


「俺、前線に異動することにしたよ、アンナ」

 それは1942年、7月のこと……ラインハルト・ハイドリヒSS大将が暗殺されてから、一月後に訪れた晴天の霹靂だった。
  遺産管理局に勤めていた彼が、前線に異動する。わたしにとって、今までどこかお祭りのような喧騒としか捉えていなかった戦争というものが、一転して得体の知れないものに変わった瞬間だったと言っていい。

「ちょっと、面白い奴と知り合いになってさ。そいつ、今は怪我してこっちに帰ってきてるんだけど、一緒に士官学校入ろうかって話になって……」

 聞こえない。聞こえない。彼の言ってることが分からない。新しく出来た友達を誇るように色々語っていたけれど、一切わたしの耳には入らない。
  だから、そのまま何も言えず……

「じゃあな。俺、行ってくるよ」

 その年のうちに将校教育を修了し、年明けから東部戦線に派遣される彼の背を、黙って見送るだけだった。
  これが最後になったらどうしよう。そんな想像をするのがとても怖くて……だから今しかないって気持ちになるのが、とても辛くて……
  わたしは座り込んで動けないまま、そこに置いていかれたのだ。

「よお、アンナ。久しぶり」

 でも幸運なことに、彼はまた帰ってきた。件の友達は確かにすごい人であるらしく、何十両もの戦車を撃破して総統から勲章を授与される。それに随伴してきた彼に再会できたのは、嬉しかったけど。

「ずいぶん友達に差をつけられちゃったのね。もうタメ口なんか利けないんじゃない?」
「うるせえな、ほっとけよ」

 安心して、ほっとしすぎて、またわたしは言いたいことを何も言えず。
  掴みたいその手に触れることも出来ず……

「でもまあ実際、ミハエルはすげえよ。あいつと一緒に戦う限り、負ける気は全然しないな」

 彼はそう言って笑うけれど、わたしには分かっていた。
  英雄に安息はないということ。激化していく戦況が、それを許さないであろうこと。
  だから、その男といる限り、彼はむしろ危険なのだ。一般の凡人が、翼の生えた者と一緒に飛ぼうとしたら墜落する。

「ちょっとロートス、こっちきて!」

 それで今日、1944年、6月25日――再び戦果をあげて勲章を受け取りに来た英雄様に、呑気な顔でお供していたこのばかちんを、ついにわたしは捕まえたのだ。


「柏葉剣付騎士鉄十字章? それが何ぼもんなのよ。戦争負けそうだから景気よく、都合のいいプロパガンダに利用されてるだけじゃない」

だっていうのに浮かれちゃって。こっちの気持ちなんか知りもしないで。

「口を開けばミハエルミハエル、なにそれ、ちょー腹立つよ」
「ツレの自慢しちゃいけないのかよ」
「わたしはあんたのことを話してるの!」

金切り声一歩手前になっちゃったけど、泣き声よりはマシだろう。彼の呑気な応対は、もしかしたらわたしを宥めようとしているからかもしれないけれど、そうだとしても騙されない。
戦争がいともあっさり命を奪っていくっていうことくらい、もうわたしだって実感している。

「去年、エレオノーレ死んじゃったんだよ? あんな強い人だってそうなっちゃうのに、あんたみたいな弱そうなのがカッコつけてもカッコ悪いよ。
だ、だから、せめて今くらい……」
「なんだよ?」
「わ、わたしに、甘えてもいいんだからねっ!」

それは何度も練習してきた台詞なのに、みっともないほど決まらない抑揚になってしまった。声、震えちゃうわ。早口だわ。語尾かすれちゃうわでもうサイテー。
こう、イメージとしてはお姉さんっぽく、大人な感じにしたかったのに。

「わ、笑うなーっ!」

再度、彼の胸をばんばん叩く。これじゃあ本当に子供みたいだ。
うぅ、全部この幼児体形悪いんだよ。今年で二十歳になるっていうのに、全然成長しないから。
こんなしょっぱい男一人すら、思い通りに誘惑も出来ない。
でも、今さら後にも引けない。

「甘えるなら、もうちょっと豊かな胸のほうがいいんだけどな」
「ナマ言ってんじゃないわよ。あんたなんかこれで充分、ていうか、これでも贅沢。立場分かってんの?」
「何がだよ?」
「ど、どどど童貞の、くせに」
「……………」
「へ、あれ、違うの?」
「……さあ」
「おいぃぃぃ、おまえふざけんなあああっ!」

それは、ちょっと、いくらなんでも、この展開的に邪道すぎる話じゃないの。
ねえ、神様は鬼ですか?

「いたっ、ばか、おい引っかくなコラ」
「いつ、どこで、誰とあんたは」

あれか? 戦地でどこぞの町娘でも手篭めにしたのか? 今日の収穫は上々だぜとか、そんな一昔前の傭兵みたいなノリでこいつは。

「い、いや、違うよね。そういう肉食臭、皆無だし」
「何を勝手に納得してんだ、おまえは」
「じゃ、じゃあ、あれかな」

従軍してる商売女と? 男が二人以上集まれば、景気づけに抜いてこうぜとか、頭の悪い展開になるって聞くし。

「おのれミハエル〜〜〜〜っ」
「だから、なんでまたあいつの名前が出てくんだよ。だいたい――」

暴れるわたしの両手を掴んで、裏切り者が見上げてくる。それで、本当にそれだけで、目が合っただけで黙らされちゃうんだからもう本当に救いがない。

「おまえのほうこそ、どうなんだよ?」
「わ、わたしぃ?」
「ああ、言ってみろよ」
「そ、そりゃあ、その……」

そんなの、訊かれるまでもないっていうか。

「ま、まあ、十人、二十人くらいは余裕でね。酒場のアンナちゃん、大人気だし……出兵前に、思い出として一回お願いとか、結構言われたことあるし」
「…………」
「な、なによその目は。信じてないの? ほんとなんだよ? わたしとベアトリス、ベルリンの赤い雨って言われてるんだからっ!」
「あいつは全然男っ気ないじゃねーか」
「わたしはありありなの、モテモテなの、引っ張りだこでウハウハなのっ!」
「だったら別に、わざわざ俺なんぞの相手をせんでも」
「だからあんたは〜〜〜〜」

たまに、こいつのこういう態度はわざとなんじゃないかと思ってしまう。
昔っからあんまりにもつれないから、嫌われてるんじゃないかと不安になって。

「迷惑、なの?」

そんな、縋るような恥ずかしいこと、言っちゃうじゃない。

「そういうわけじゃないけど、こんなの逆に不吉だろうが」
「じゃあ、この戦争終わったら云々ってやつにしたいって言うの? そっちのほうがすごいビシバシとやば気な匂いするじゃない」
「む、いや確かに、そりゃそうだが」
「だいたい、あんた言ってたじゃない。今を生きようって」

もう五年も前の話になるけど、あのクリスマスの夜に彼は間違いなくそう言った。
戦争中で、明日も知れなくて、いつ死ぬか分からない。だけど、だからこそ一瞬を大事にしたいと強く思う。そういうことで、乾杯しようと――
現実を精一杯生きようって、言われたから、わたしだって……
この 刹那いまから逃げないよう、頑張ってるのに。

「あんたがケツまくってどうすんのよ! 勝負挑んでんだから受けなさいよ!」
「そうは言うけど、男はメンタリティな生き物でだな……」
「まさか、おまえじゃ勃たねえとか言うつもりじゃないでしょうねええっ!」

危険な台詞が返ってきそうな気配を感じて、思わず叫ぶ。さすがに、それはいくらなんでも、わたしも木っ端微塵になっちゃうぞ。
言われてみればお尻の下、なんか反応が鈍いような気がしないでもないけど!

「ま、任せなさいよ。へっちゃらだもん。わたし経験豊富だから、あんたみたいなしょぼい男の一人や二人、いくらでもフルマックスにさせられるし!
お、大人しく観念して、ここはお姉さんに委ねなさい。
そしたら、て、天国に連れてって、あげるんだもんね!」
「ぷっ――」
「だから笑うなーっ!」
「ちょ、おま、泣くなよ」
「泣いてないもんっ!」

言いながら、頭をぶんぶん振ったら涙が飛んだ。そしてわたしの髪の毛が、馬鹿野郎の頬にぺちぺちと往復ビンタを繰り返す。それが、なんかもう情けなくて、いい加減挫折しそうな感じだった。

「ああ、もう……」

……結局、これが限界なのかな。こいつを一発KOするパンチなんか持ってないし、もうどうしていいか分からないし。
諦めてお手上げ降参しようとしたとき、ぽつりと、どこかで誰かが呟いていた。

「わたし、ロートスの子供がほしいだけなのに」

軋むベッドの音に紛れて、そんなことを。

「へ?」
「え?」

口にしたのは誰? わたし?

「あ、え? いや、なんだそれ?」
「え、え……うええええええええっ!」

ちょ、ちょちょちょちょちょ待っ――

「ち、ちがっ、違う、違う違う何でもないからあああっ!」
「子供ほしいって……」
「記憶を失ええええっ!」
「――ごふっ! ばっ、おまえ鳩尾殴るな」

ああ……ああ、そうだった。記憶奪うんなら頭だ頭。

「て、コラ待て、そうじゃねえだろ!」

脇の花瓶に伸ばした手を、がっちりと掴まれる。

「落ち着け、いや落ち着こう。深呼吸しようぜ、な?」
「すー、はー」
「よし。で?」
「やっぱり死ねええええっ!」
「なんでさっきより物騒になってんだてめえええ!」

どったんばったん、くんずほぐれつ。
そんな取っ組み合いがどれくらい続いただろう。一向に会心の一撃を許してくれない馬鹿を見下ろし、わたしは言った。
恥ずかしいのも腹立つのも一周回って、なんだか悟りの境地みたいな気分になって。

「この戦争、あんた勝てるとでも思ってんの?」

さっき、思わず漏れたわたしの本音。口にするまで自覚もしていなかったけど、それが真実の望みなんだと気付いてしまった。
こいつの子供を授かりたい。今を未来に繋げたい。
だって、あのときみんなで誓ったから。いつも上と前を向いていようって、乾杯したから。

「あんたが頑張ってるのも、ミハエルがすごいのも、分かってるよ」
だけど、ロートス……きっと駄目だよ。負けちゃうよ」

わたしみたいな一介の町娘だって分かるくらいに、戦争はもう敗色濃厚。
おそらくは今年中、いや一年以内にこのベルリンは落とされる。
そんな風説がそこかしこに溢れていて、事実彼ら兵士は疲弊していて。
大丈夫なんて見栄切られても、カッコつけさせてあげられない。そんな包容力は持っていない。
わたし、胸小さいから。痩せ我慢を受け止めてはあげられないよ。

「だからお願い、前を見させて。
この今が大事だから……あなたを先まで、続けさせてあげたいの」
「それはリザの……」
「うん、彼女の受け売り」

レーベンスボルンのお偉いさん。本当はわたし達が呼び捨てにできるような人じゃないけれど、友人のよしみで今でも懇意にしてもらってる。
国体も、そして家族も結局同じ。女と子供なくして存続できない。
だから命を生んで、守って、そして育む。未来に光があるように。
そうした彼女の考えに、わたしは今共感している。

「あなたが死ぬだなんて、思いたくないし、思ってない。
だけど、ロートス、だからこそじゃない? 男が身体を張って戦うなら、女も身体を張る場所があるでしょう?」
「……………」
「それ、わたしにちょうだいよ。一人だけ置いてけぼりなんて嫌だ」

リザもエレオノーレもベアトリスも、こいつやミハエル、神父様も、それぞれ自分が決めた戦場に立った。
なのにわたしだけ、わたしだけ何もない。そんな自分に引け目を感じて、自信を持てなかったのが総ての原因。
ずっとこいつを掴めなかった勇気のなさは、そのせいなんだって今ようやく分かったの。

「だから、勇気がほしい」

光がほしい。この刹那に抱かれたい。

「ねえ、ちょうだいよ。ロートスの子供、ほしいよ」
「俺は……」
「だいたい、わたしくらいしかいないわよ。あんたで妥協するような、物好きは」
「てめえ……」

苦笑する顔に、こっちも笑みがこぼれてくる。
うん、まあ、これでいい。わたしのちっちゃい胸に生まれた勇気は、まだこんなところが限界だ。
これから先も、これより上も、彼から受け取ったものを育みながら手に入れよう。
勇気は搾り出すものじゃない。生んで、育てて、与えられるものだから。

「じゃあ、俺からも二つ条件がある」
「なに?」
「一つ、子供は……いや、孫でもいい。とにかく日本に住まわせてくれ」

片目を閉じた幼い仕草で、そんなことを言うロートス。それはいつもの彼らしく、冗談めかした口調だったけど。

「俺が行ければいいんだが、駄目だったときはそうしてほしい。すぐには厳しいだろうけど、リザやベアトリスに頼めばなんとかなるだろ。コネ使いまくれ」

なぜか、その願い事は、絶対に叶えなければならない真摯なものなのだと直感した。

「ずっと、あのクリスマスからずっと、俺は日本に行きたくてしょうがなかった。なあ、頼むよアンナ」
「…………」
「駄目か?」
「ううん……分かったわ」

理由は全然不明だし、いつになるかも分からないけど約束する。
だって、あなたがそうまで日本に行きたいって言うんなら、この先どうなろうとそこでまた逢えるような気がするから。

「それで、もうひとつは?」
「ああ。ていうか実は、これが一番問題なんだが」

今度は、一転して深刻な顔。いったい何事かと思いきや――

「勃たねえんだけど、俺」
「…………」
「いや、困った。どうしよう。おまえ、リザの声真似とかできる? あれ、すごいエロくて目ぇ閉じて聞けばガチ燃えすると思うんだけど」
「………………」
「なあ?」
「ぶ……」
「ぶ?」

ちょっと誰か、パンツァーファウスト持ってこい。

「ぶっ殺すぞこのふにゃちんがああああぁぁぁっ!」

そんな、乙女の夢も希望も木っ端微塵に吹き飛ばす、恥辱の泥にまみれた初体験。
ようやくやっとのことで ほしを掴んだ、酒場のアンナちゃん19歳と7ヶ月の忘れられない夜だった。


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